2008年5月22日

ひこうき雲

                      ひこうき雲

                        「よしみ」


 白い坂道が 空まで続いていた
 ゆらゆらかげろうが あの子を包む
 誰も気づかず ただひとり
 あの子は 昇っていく
 何もおそれない そして舞い上がる

 空に 憧れて 空を かけてゆく
 あの子の命は ひこうき雲  

 高いあの窓で あの子は死ぬ前も
 空を見ていたの 今はわからない
 ほかの人には わからない
 あまりにも 若すぎたと
 ただ思うだけ けれどしあわせ

 空に 憧れて 空を かけてゆく
 あの子の命は ひこうき雲
 空に 憧れて 空を かけてゆく
 あの子の命は ひこうき雲



ひこうき雲は天に上っていった若者たちのこと。


久々に昨日はまいこと2人で酒を飲む。
我ら同期の版画4人衆は、日光選手を長男に間抜けな長女のわたし、クールで大人な妹まいこ、駄目さがかわいい中塚という構成で成り立っていた(様に思う)。誰を干渉するでもなく、4人4様のやり方で今も制作を頑張っている。わたしはいい仲間にめぐり合えたと思う。

美術を評価することは、頑張ったか頑張ってないかということを含むことになる、とYッシーは言った。でも、今日の美術の世界は少し違う。訳の分からないものまで「センス」と謳い、一種の祭りのように盛り立てあげる。頑張ったか頑張ってないかではない。否定もしないし、ぜんぜん構わないが、人が懸命に作った物に対しての取り扱いだけは本当に注意していただきたい。もちろん好みや一徹したテーマ云々は、夢を与える芸術家として磨き上げなくてはいけない。しかし、芸術を志すものにとって、必要でない言葉も受け止めなければいけないときもある。

心に訴える、そんな言葉だけではこの世の中、生きていけない。


心はガラスと比喩される。


あなたもわたしもガラスのハート。