2008年5月12日

ガラスの制作

                    この穴が鳥の巣

                    立派なお髭。化け猫か?


                パステル画を描こう!


                暗峠のカフェ。


                    これでも国道。



                    これでも国道、308号




                現代の日本です。



ガラスの歴史は古く、文明が芽生えた頃から始まる。日本では、江戸切子などの調度品が有名である。ギヤマンである。壊れやすく透明性のあるガラスに人は魅力を感じる。人の心が似ているからでしょうか。


3月に個展をしたときはこのガラスをよりもろいカタチで発表しました。800度近い温度の釜で一気に焼かれるガラスの粉は、悲鳴のような小さな声を上げて高揚から冷めていく。時間を惜しんだなら、せっかちなわたしを戒めるかのように「ギシッ」と釜の中で割れてしまうこともしばしば。それさえもわたしの心をとらえてやまない最高の素材です。そのガラスをもう一度制作できるとあって一路、藤井寺へ。受験時代、わたしは毎日3時間かけて絵を勉強しに行っていた。朝7時半から早朝ドローングがあったから、当時は毎朝4時半には家を出て始発通い。恐ろしいことに、立ったままでも寝れるようになり、おっさんの胸にもたれ掛かって、温泉の夢を見ていたことも。その甲斐?あってか、通勤時間が余り気にならなくなった。むしろ遠ければ遠いほうがいい。藤井寺は、京都から約2時間強。この距離を遠いと思うことは、構想時間を縮めることになり、自分の料簡を狭くする。


パステルでの制作の時間を利用して構内の自然に触れる。猫はご馳走が簡単にもらえるせいか、ずいぶん人馴れし、もう野性では生きて活けない。無精ひげも甚だしい。


本日は、ガラスの用意のみ。本制作は来週以降。というのも、生駒の山桜をこよなく愛する山桜先生に連れられて、暗峠の喫茶店に行く。暗峠は、大阪とは思えない田園風景や石畳の国道は知る人ぞ知る感動スポット。大阪と奈良の県境に位置する生駒山はお京阪からも見えるけど、ここまですばらしいとは思わなかった。初めて山のなかに入らせてもらってから、一年。山は生きていると感じる。生命力に満ち満ちていて、すっと自分がいなくなる瞬間を味わう。この山で一人山と絵に向き合う山桜先生は、仕事でお世話になった大先生。その背中は本物に満ち溢れていて、到底追いこせない人物の一人だ。

自然もまたわたしの中では勝てない存在である。作品と向き合うときに、この感動をいつも思い出す。意味を、存在を、生を。



台風の影響で山は風がきつい。はるかかなたの渦巻きは、もしかすると、誰かのくしゃみかもしれない。