2008年5月26日

「今」についての考察

                           枚岡駅

                         パステル画を描こう!

       この枕木をハイヒールが引っかかるからとアスファルトにしようという奴のセンス・・・

                     ちょっと前。これも「今」やった。


「今」ということに向き合えている人はどれだけいるだろうか。そもそも、「今」という概念自体、理解しているのだろうか。M先生は「今」ということについて、究極を言えば、知らなくていいことまで知ろうとしなければ、もっと純粋に「今」に向き合えるといった。

文明や文化はその土地の風土から発展し、植物もまた、その風土の影響を受けて成長する。人間はそれを食べて生きるようにプログラムされている。熱帯のバナナは暑い気候に対応できるように、食べれば体を冷やす。そこには必要な意味があって、極論を言えば、「無い」ということが、そこには無い。しかし人間は、知りたいという欲求から、そのことを忘れ、どんどん「欲しい」の開拓を進める。そこには、大きな落とし穴があるように思えて仕方が無い。

問題を解決しないまま、果ては宇宙ステーションを本気でつくるつもりか?

世の中は、悲しいかな、生きるためにお金というものを稼がなくてはいけない。エコエコと謳いながらも、エコのために自然破壊を進めている。当然である、そこにはお金が発生するから、必要でないと判断していても進めるしかないのだ。かつて人類が行ってきた自然とともに生きるということは今や、簡単なことではないのだ。
「今」を見よう。その日暮ということではない。今日のその場その時の感動と向き合うことができたら、学芸会のようなとってつけた「必要」なんて必要でない。

花が咲くことに耳を傾けよ!歩きやすい道ばかり歩くな!問題から目を背けるな!

種を植える、毎日わずかな変化に神経を集中させ、芽吹くのを待つ。
土が盛り上がり、双葉が出て、茎が太くなる。つぼみをつけて、開花すれば、私の仕事は、終わる。
また、種を取り、来期に向けて、土を耕す。
私の「今」は開花し、この仕事が終わる瞬間にある。

「今」を見よう。