2009年7月12日

何か切実な







                     洗浄

                 外れた天気

                  撒き水の絵


名前が付いていないこと、もしくは、名前があってもそのことを知らないこと。
わたしの頭痛は名前があって、調べれば分かることかもしれませんが、付き合っていく上でさほど必要ないようにも思える。
名づけには様々な深いわけがあって、名前はその表面に過ぎない。
出来る限り、その、微細な意味に近づいていきたいが、バイオリズムの関係かハタマタ、性分か。
今日もわたしの頭痛は激しさを増すばかり。