2009年10月13日

中塚邸

納屋の小窓


中塚邸は京都市内から2時間ほど電車にゆられたところにあります。京都に住んで10年ほどになりますが、今だ「ザ京都」に慣れないところがあります。観光地化された京都は名所名所といわれるところばかりで、その分文化価値も高く評価されていますが、どこかに違和感を拭いきれないのです。
春に伯父と伯母が上洛しました。伯父は普段軽トラで動き回っている農家人です。「ザ京都」を案内すると、喜ぶどころか昼間から疲れていました。人の多さもそうですが、煌びやかに見える中に毒された不自然さにうんざりしたのでしょう。京都は、どこまで行っても「京都」を演じているのです。
数年前に行ったベネチアでも同じことを感じました。創りこまれた水の都。「美しい」「感動」を履き違えたような町全体。どうも不気味です。なんていうか、化粧の濃い女、ピエロみたいな。その隣、パドバという町のほうが、人が生きている感じがしていろんな発見をすることが出来ました。全部嘘だとはいいませんが、本当に「良い」を知る物差しを持つ必要があると思うのです。
春木川は、本当に静かな集落で、交通の便も悪く、文明から取り残された感が漂う村です。中塚邸は、その一角にあり、古い民家と呼ばれる類の家。昨日は、納屋の掃除をしましたが、薄暗く怖い印象を与える日本家屋独特の小さい窓に感動しました。最近では薄暗い印象は好まれませんが、日本の持つ陰の部分というか、これは必要な部分だと思うのです。わたしは、良くも悪くもそう言う所から感動を与えられる役割が「アート」の力だと思っています。
光を大きく取り込むアルミサッシの窓からの景色。ひょっとすると、その感覚が本筋かもしれません。しかし、何もかも平均化されたなかに、どれだけの感動がありましょうか。


アートする。ブログ
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