2010年3月9日

バランタイン17年



スクロヴァニ礼拝堂


言っておくが、私は酒飲みではない。
薄い雑穀炭酸飲料をビールとは言わないし、醸造アルコールくさい酒は体が受け付けない。だけである。

数年前、イタリア・パドバのスクロヴェニ礼拝堂のジョットの壁画を見た。人数制限されて入る空間に広がる澄んだ空気。自分の無知さに恥ずかしくなる。小手先の受け売りでは、すぐにボロがバレる。目の前に広がる感動世界と自分の不勉強のギャップに何とも言えない気持ちになった。
教育。のん気な女がテレビで大学に入ってしたいことは?という質問に、彼氏を作りたいと言っていた。平和ボケ。これでいいのか日本人。「自由に表現しなさい」というと悩む学生。教育現場では、やはり思想統制しか行われていないのか?没個性の極めつけに制服。だから、高いブランドバックを平気でみんな持っている。臭いものに蓋。へらへら笑う友愛精神に感情などなく。やはり、感覚を研ぎ澄ますためには、教養も必要であるし、それに伴い集中力も肝心だ。そう言うことが、本物に出会うと強く思えてくる。なので、子供であろうが、本物を教えるべきであると思う。

バランタイン30年、竹鶴35年、マーテルコルドンブルー。
ジョットは、それらを飲んだときの感動体験と似ている。無知な自分を責めるべく。17年でも充分感動モノ。
子供に飲ませるわけには行かないが。
感動ものは、感性を磨いてくれる。