2010年4月18日

出版記念

御衣黄桜

訳が分からないほうがきれいな画面

スガハラガラス 落ちた陰がきれい



ドルチェ


Nさんとは、ちょうど一年前にPost Coitusというバーで出会った。たまたま「ヨウコ」というタンゴのダンスを見に行ってこられた「陽子」さんが、「陽子」の隣に座ったという「スリー陽子」。意気投合し、翌日、食事に誘っていただいたという偶然が重なった始まり。
今日は、その「陽子」さんの出版記念にお招きいただく。医師だったご主人が急死され、その後1年間の日記が本の内容。毎日付けておられる日記はドキュメントであり、始まりでもなく終わりでもない時間の集積。人の日記を覗き見するような感覚ではなく記録に近い記述は「陽子」さんの頭の良さが垣間見れて、出来た方だと改めて尊敬する。
「おぼつかな 誰に問はまし いかにして はじめも果ても 知らぬわが身ぞ
いつかの日記の源氏物語の歌が気になった。非常に切ない詠詩である。「考えると怖い。」私たちは、なくなっていくことにおびえているのだろうか?1000年も前から人間は然程、進歩していないように思えた。

今日の記念パーティーは、キメラという八坂のイタリアンで行われた。Nさんのご主人の同級生が集合されて、会った事もないご主人のお人柄が伺えた。料理も美味しく、この香りは?この食感は?と五感すべてで味わえた。またスガハラガラスの個性の強い器で盛られる料理が何より美しかった。

このブログを通じて、同級生に再会できたり制作のヒントをもらうきっかけになったりと身辺にうれしい変化があった。言論の自由もないらしい日本社会に、ブログという存在は格好のしゃべり場である。自己満足の自己顕示欲という意見もあるが。自己満足で何が悪い。はじめも果ても 知らぬわが身ぞ。やりたいと思うことをしないで一体何をするんだ?

偶然ではなく必然。
必然の時間に巡りあうために、「今日」は、昨日より一歩前に立った自分でありたいと思う。