2011年5月30日

ビアトリクス・ポター

ビアトリクス・ポター


ビアトリクス・ポターのデッサンがすごい!擬人化、ウサギや猫の特徴を観察しつくした至極。100年前にこんな人がいたとは!感動する。また、彼女はナショナルトラスト運動も行っており、スコットランドの美しい景観を守った。
日本の景観には愕然とする。同じような住宅に住み、同じような車に乗り、同じようにデカいテレビに噛り付く。何故そこまで生活を平均化するのか。車窓からの景色は年々つまらないものに変わっていくのが手に取るように分かる。そういう家の親に限ってうちの子は個性が無くて・・・というが、当たり前の話である。そのくせ、利害の絡んだサンタさんだけは必死に信じているのが滑稽だ。
実家は昔、恐ろしいほどおんぼろ家だった。子ども部屋とか言って私のために建て増しされた部屋はじいさんの手作りという隙間風ビュービューの完成度だった。風呂もけたたましい音を上げで燃えるボイラーが幼心に思い出される。次に住んだ家、今の西脇の家も、日本家屋の趣を残していて、そこで育った私は家というのはこういうものだと思っているので、張りボテのような何チャラハウスに暮らす今は、ここが終の棲家だとは思いたくない。住居は大事な生活の大部分であり、失う辛さは計り知れない。しかし、仮設住宅の是非も懸念される。プライベートと孤独は似て非なり。
人間主張ではなく、人間も自然の一部であり自然とともに暮らす。もちろん、今よりも不憫かもしれないが、自然エネルギーで賄えるほどに、原子力に頼らずに生きていけるのではないか。そこ試みはもう始まっている。存続の可否を今決めるのではなく、100年後の子どもたちのために恥じぬ生き方に一票投じよう。