2008年8月5日

型にはまる

高校生が描いた50号のカラスの絵を前にして、山桜先生と話す。

美術を教えること、それは、単純に絵がうまくなることではない。いい絵というのは人に伝わる。好きとか嫌いではなく、すーっとしみこむ。というと、センスがないからとか言う人がいるが、本質はもっと簡単。自然にしていれば、しみ込んでくるだけのこと。人間は言葉以外のモノをすばやく察知して状況を認識できるようにできているんやと思う。今や美術の一面は心の中をさらけ出すような、これが現代美術なのか、そう言うものが溢れている。日本のように「曖昧」を受け入れる文化は、どうしてもそこに羞恥や迷いが出てしまう。そう言う作品も個人的には好きやけど。自由に見えて、本当は型がある。型にはまる。真似をすることが何より楽しい。型は歌舞伎に由来するのか?歌舞伎は細やかな型・所作の繰り返しで演じる。自由では決して無い。だけど、その向こう側、型を演じながら型を超えることこそが、感動を生む。大事なのは、どれだけ型を超えられるか。

風景画家コローの人物画がすばらしくいいと先生は言われた。死んだ母の面影を追いかけて描いた人物画は、内なるものとして世に出ることは無かった。

物事の究極は一つの円になる。究極を求めるということは、つまり・・・?