2008年10月18日

春植え

                  球根が見えますか?

                   



春に咲く花の球根を植える。
趣味の園芸ではありません。パーマカルチャーの基盤の基、我々がどう自然と付き合っていくのか実践しているのです。

本屋で料理雑誌を立ち読みしていると懐かしい絵に出合う。その絵は、わたしが初めて木版画をしたときの絵だった。
画廊で何度か版画の展覧会をさせてもらったことがある。ある日、外国人の方が甚くわたしの絵を何枚か気に入ってくださった。その人は花見小路でフランス料理の店を開くと言う。そこに飾りたい、と。わたしは初めて自分の作品が売れたことに舞い上がり興奮した。
何年かしてそこの店が別の名前になったことを知る。わたしもその頃、絵を描かなくなっていた。お店がなくなっていたことは悲しいと言うより、他人の話に思えた。
また何年か経った今日、そのお店が名前と場所を変えてやっていたことを発見する。シェフのパンテルさんもお元気そうだ。絵も飾ってくださっている。

授業を受け持つとき、やりたくないと言う学生には無理にやらせない。大人が子どものコップを満たしてやろうなどと言うのは、自己満足に過ぎない。子どもは勝手に自らのコップに水を注ぐ。最近の子どもはという人に限って、自分の子ども時代を思い起こすと良い。この国は、小学校で人格を統制し、中学で個性を没落させ、高校で権力と言うものもに支配させる人間を形成する。褒められることがすべてではない。残念ながら、わたしはそのレールには乗ら(れ)なかったので、今、「弱者」と言う熱いお灸をすえられている。

絵を描かなくなったのには理由があった。でも、忘れてしまった。
水は自分で満たす。
あの頃の自分のバイタリティーに今の自分が負けていなくて良かった。

ワンランク上の仕事を心がけよう。評価は未来がしてくれる。