2008年5月10日

スイッチ雨おんな。

                高野川


                魚屋も今日は暇?

                雨に打たれる 白躑躅





土曜の出勤は、約一時間かけて駅まで歩く。
帰りも同じこと。
茂木健一郎がプロフェッショナルで考えるときは歩くといっていた。
とてもよく分かる。



Yッシーとは大学院時代よく歩いた。
出町柳から京都駅までの川原の往復4時間をしんどいと思わなかったのは、
ただボーっと口をあけて歩いていなかった証拠。
でもはじめはホント文化レベルの低いモチベーションで始まった。しかし、今振り返ってみると毎日のように歩いていた時間が自分の本質を見極めることを養ったように感じる。
最近は番外編のようなスパンで歩くこともアルけど
あのときのような必死で制作と向き合っていた悶々とした空気ではない。
大人になったのか、4時間もかけて歩けば、血行も良くなってすっきりして、
以前のような怨念めいた時間ではなくなっていた。

当時は、「あなたの1日の4時間ください」のキャッチコピーで参加者を募っていた。
誰も馬鹿げてると参加しなかった。





美術というのはホント奥が深くて、
授業で教わる程度では到底学びきれない。もしくは、生き方が190度くらい変わってしまうから、
没個性の日本の教育では無理なことかもしれない。
なにせ、パンダをレンタルするほどノーテンキな国だから。
氷山の一角を理解できるまでに、わたしは10年以上かかった。




帰り、昔バイトでお世話になってた寿司屋に、メニューのデザインの話で呼ばれた。
わたしはデザイナーではないからできないと断っているのに、
芸大というだけで期待を持たれる。

そこで、以前出していたデザイン案に変更を言い渡されるが、
いまいちどうしたいのか伝わってこない。

絵を教える仕事をしていて、大切なことが1つある。
それは、イメージを伝えるというスキル。
味覚、触覚、嗅覚・・・いろいろあるけど
百聞は一見にしかず、視覚はやはし軽視できない能力である。


ちょっと前にNHKで宮崎駿と高畑勲の比較をしていたが、
面白いと思うことを絵で伝えられる宮崎に対して、
高畑は絵が描ける人間を挟まなければ伝えられないといっていた。
絵がうまければいいというものではないが、
面白いというアイデアをで妥協なしにこの世に出したい。そのためにも絵が描けるというのはアル程度は突き詰めるべき技術である。
世の中の一流デザイナーを見渡しても、たいてい絵がうまい。


そんなことを学生に話していたら、
ゴールデンウィークの山盛り課題はなかなか内容の濃いものになっていた。
没頭は若者の特権である。この調子で仲間と競い合いながら刺激を感じて、邁進して欲しい。







とにかく、今日も明日も雨。



庭の植物たちがいい音を立てながら雨水を受け止める。
これ以上のセンスのいい音楽はない。